「NHKの大河ドラマ50のご当地版モノポリー」とは?
舞台は大河ドラマの舞台の時代風情をデフォルメしたテーマパークです。 プレイヤーは旅行者となって全国各地の大河ドラマのゆかりの地を巡る傍ら、 自らも好きな大河ドラマのゆかりの地の振興を担います。
今回、22のゆかりの地、大河ドラマの舞台に多かった江戸時代の人々になじみ深い4つの乗り物と行燈・水車に、 モノポリーの世界観を生かしながら登場してもらいました。
マスにつきましては以下のような趣旨で採用しました。
- カラーグループごとに大河ドラマを選定しました。 なるべく放送年代に偏りのないよう、 また時代も戦国時代だけでなくその他の時代を舞台にしたものもなるべく選びました。 なおカラーグループに登場しない大河ドラマも多くはイベントカードに登場いたします。
- 大河ドラマは三大都市圏を舞台にするものが多いものの、できるだけ数多くの 都道府県を取り上げるようにしました。 東日本大震災の主要被災地(岩手県、宮城県、福島県)は全て入っています。 宇和島、石巻など、あまり知られていないゆかりの地も積極的に登場させた。 なお地名はわかりやすさ重視で、現在も残るものとなっています。
デザインの大きな特徴は、 ボストン美術館の浮世絵(大河ドラマと同様に江戸時代が多い)の画像を一部に使ったことです。 今回使用しました「スポルディング・コレクション」は、 作品の劣化を防ぐため一般への公開が禁じられた「幻のコレクション」で、大変貴重なものといえます。
また中央やマスには、大河ドラマゆかりの人物やゆかりの地をイメージするイラストをデザインしました。 地域の魅力をうまくデザインされることで知られる株式会社エヌディーシー・グラフィックスには、 横浜版モノポリーに続いて協力いただきました。
さらにカードには、大河ドラマとそのゆかりの地に関する様々なエピソードを盛り込んでいます。 お札も、大河ドラマの舞台の多い江戸時代の通過単位である「両」を、 昔の漢数字とともに採用しています。 江戸時代の主要な宿泊施設である「旅籠」や「本陣」も登場します。
このように、徹底的に細部までこだわった逸品となっています。
日本モノポリー協会は地域の魅力を発見するご当地版モノポリーの作成に力を入れています。 今回で四度目の「ご当地モノポリー」への協力になります。 監修にあたった日本モノポリー協会専務理事・2000年のモノポリー世界チャンピオンの岡田豊氏は、 モノポリーの経験に加え、みずほ銀行系シンクタンク「みずほ総合研究所」にて地域活性化を担当しており、 その知見を生かして、今回も想い出に残るゆかりの地だけでなく、 あまり知られていない大河ドラマのゆかりの地も発見できるモノポリーを目指しました。
権利書紹介
ブラウン:「新選組!」(第43回、2004年) 幕末の京都を舞台に大暴れした新撰組を描いた。 1日分のエピソードをほぼ1話にまとめた脚本のため、駆け足で進みがちな他の歴史ドラマと違い、登場人物の感情の機微を表現した話題作となった。 |
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桂浜 | 新撰組が活躍した頃の主人公の一人といえば坂本龍馬。 土佐藩を脱藩した浪士が薩長同盟や大政奉還で大きな役割を果たした話は今なお人を魅了してやまない。 龍馬の生家から近い高知県桂浜には、巨大な坂本龍馬像と館内から美しい桂浜を一望できるようにガラス張りとなっている県立坂本龍馬記念館がある。 | |
函館 | 「新選組!」は局長近藤勇の最期をもって終了したが、その続編的位置づけで後日、「新選組!! 土方歳三 最期の一日」が放送された。 土方ら新撰組の残党は北海道函館の五稜郭を拠点に新政府軍に最期の戦いを挑んだ。 改装された五稜郭タワーからは美しい星型の五稜郭の全景が見える。 近年はこの五稜郭の一部を使う、市民参加型の日本最大の野外劇・函館野外劇も大人気だ。 | |
ライトブルー:「葵 徳川三代」(第29回、2000年) 家康・秀忠・家光の徳川三代を描いたもの。 大河ドラマ初のハイビジョン撮影だったので、それに見合う絢爛豪華なセットが用意された。 水戸光圀の案内役も話題になった。 |
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名古屋 | 名古屋城は、徳川家康が加藤清正、福島正則ら担当の大名に工事費を負担させる「普請」にて1610年に築城。 名古屋のシンボルでもある金鯱がある天守閣は第二次世界大戦の空襲で焼失したが、戦後再建された。 2010年には築城400年を祝う記念イベント「名古屋開府400年祭」が盛大に開催された。 | |
浜松 |
1570年、家康は本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移し、その際、曳馬が「引く馬」で撤退を想像させるとして浜松と改名した。
浜松は1586年に本拠地を駿府に移すまで、家康の居城であった。
二代将軍秀忠は浜松の下屋敷で1579年に誕生したが、画像はそのとき使われたとされる「産湯の井戸」の井戸枠である。(本物は近隣にあったが、明治時代に埋められた)
写真提供:浜松観光コンベンションビューロー |
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日光 | 江戸幕府初代将軍徳川家康は実に多くの大河ドラマに登場し、まさに大河ドラマ全体の主人公ともいえる。 その家康を神格化した東照大権現を祀るのが栃木県日光市にある日光東照宮である。 社殿は1617年に秀忠により造営され、1636年に三代将軍家光により建て替えられ、絢爛豪華になった。 「三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)」の彫刻で有名。 | |
ライトパープル:「独眼竜政宗」(第25回、1987年) 隻眼の伊達政宗の一生を描いたもの。 平均視聴率は全50作中、歴代最高の39.8%。 子供時代の政宗(梵天丸)のセリフが流行語になるなど、1987年の話題をさらったドラマとなった。 |
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宇和島 | 伊達政宗の特徴は、全国各地にゆかりの藩をもっていたことである。 愛媛県の宇和島藩はその一つ。 1614年に伊達政宗の子・秀宗が10万石で藩祖である。 画像の八ツ鹿踊り(やつしかおどり)は秀宗が宇和島に持ち込んだとされ、仙台には今も伝わる「鹿踊り」(ししおどり)に由来し、伊達家を通じた宮城県と宇和島の関係の深さがうかがえる。 | |
伊達 | 旧伊達郡は伊達氏勃興の地で、鎌倉~室町時代に本拠地とした。 そのため、伊達市の市章は、伊達政宗の兜「弦月と兜」をモチーフとしたデザインとなっている。 なお福島県伊達市は2006年に伊達郡の5つの町が合併して誕生したもの。 | |
石巻 | 政宗は大名として例外的に家康から外交権を得て、いわゆる「天下人外交」を行なった。 スペインとの貿易を画策し、ガレオン船サン・ファン・バウティスタ号を仙台で建設し、港を石巻に築いた。 石巻市には復元されたサン・ファン・バウティスタ号を展示する宮城県慶長使節船ミュージアムがある。 残念ながら、この施設は東日本大震災で大きな被害を受けたが、再開が待たれる。 | |
オレンジ:「おんな太閤記」(第19回、1981年) 後の天下人秀吉の妻・ねねを通してみた戦国時代を描いた。 「おしん」など数々の話題作で知られる、ヒットメーカー橋田壽賀子氏脚本。 女性が主人公となったのは大河ドラマ初。 |
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醍醐 |
豊臣秀吉は京都の醍醐寺(世界遺産の一つ)で、死去の直前、秀頼、北政所、淀殿や諸大名などを集め、後に「醍醐の花見」と呼ばれる盛大な花見を開催した。
派手好きの秀吉をあらわす代表的なエピソードである。
画像はスポルディングコレクション・喜多川歌麿「太閤五妻洛東遊観之図」から抜粋。
なお喜多川歌麿は1804年にこの絵を記したが、豊臣秀吉を描いた罪で徳川幕府に罰せられた。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_7697-9 |
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中村 | 木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、1537年、尾張国愛知郡中村(愛知県名古屋市中村区)で生まれたとされる。 農家の出ながら、天下人にまでなった出世物語は数々の逸話で彩られている。 織田信長の草履を自らの懐で温めたという話もその一つである。 現在、生誕地周辺は「中村公園」として整備されている。 | |
大阪 | 大坂城は天下統一を果たした豊臣秀吉によって、石山本願寺の跡地に築かれ、1615年の大坂夏の陣にて陥落した。 巨大な本丸に加え、幾重にもはりめぐられた堀など、絶大な権力を誇った秀吉の象徴的存在であった。 なお今の大阪城の城郭は徳川政権で再建されたものをベースにしているため、豊臣時代のものとかなり違うとされる。 | |
レッド :「天と地と」(第7回、1969年) 戦国時代の名将・上杉謙信の一生を描いた。 大河ドラマ初のカラー放送であり、それに合わせて美術セットなどが工夫された。 放送時間が今の日曜日 8時に定着した作品でもある。 川中島の戦いでは、福島にて数百人のエキストラを使った大仕掛けのロケを行い、話題になった。 |
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川中島 |
川中島は長野県長野市にあり、上杉謙信と武田信玄が数度の戦いを繰り広げた川中島の戦いで有名。
特に第四次の戦いは、両雄が直接、刃を交えたとされ、上杉謙信が振りかざす刀を武田信玄が軍配で受け止めたとされるシーンはあまりにも有名。
画像はスポルディングコレクション・鳥居清政「川中島合戦の上杉謙信と武田信玄」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_7169 |
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春日山 | 新潟県上越市にある春日山は別名蜂ヶ峰とも呼ばれ、自然の地形を利用して山全体を要塞にした、上杉謙信の本拠地・春日山城があった。 標高は189mとあまり高くないが、頸城平野を一望でき、さらに同地は関東・北陸・信濃を結ぶ交通の要衝に当たり、城の立地に適していた。 | |
米沢 | 上杉家を継いだ影勝は豊臣政権末期に福島県の会津を加増され、120万石の大大名となった。 米沢城には家康を糾弾した直江状で知られる家老・直江兼続が配置された。 徳川政権では改易を免れたものの、米沢30万石に減封された。 同地には、謙信が出陣の際に必ず祈祷した刀八毘沙門天を祀る、「千遍戦えば千遍勝つ」から名づけられた千勝院がある。 | |
イエロー :「源義経」(第4回、1966年) 数多くの伝説が伝わる源義経の生涯を描いた。 昔の収録テープは高価だったため、繰り返し利用されたことから、初期の大河ドラマは収録テープがあまり現存していないが、この作品は総集編が残っており、ハリウッドの最新技術を使ったデジタルリマスター版となって、 2011年に放映された。 |
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屋島 | 屋島の戦いは現在の香川県高松市で行われた源平合戦の一つである。 一ノ谷の戦いで大敗北を喫した平家は四国を拠点に反撃の機会をうかがったが、源義経は暴風雨の瀬戸内海を信じられない速度で横断するなどの奇襲を仕掛け、再び平氏に勝利した。 またこの戦いでは、平氏側の挑発に応じ、源氏側の那須与一が揺れる船から遠く扇を弓で射抜いた逸話でも知られる。 | |
鞍馬山 | 鞍馬山は京都府京都市の郊外に位置し、鞍馬天狗伝説で知られる。 源義経(幼名:牛若丸)は父(源義朝)を平清盛に殺され、母(常盤御前)と別れて、兄(源頼朝)は伊豆に流され、ひとりきりとなった。 そして、鞍馬寺に預けられ、同地にて鞍馬天狗に兵法、剣術を習ったとされる。 同地は以前より紅葉狩りで知られたが、近年はパワースポットとしても注目を浴びている。 | |
平泉 | 源義経は源平合戦で大きな武勲をあげ、鎌倉幕府成立の大功労者であったが、兄・源頼朝に疑われ、命を狙われる立場になってしまった。 京都の五条大橋で打ち負かした弁慶らとともに様々な逸話に彩られる逃避行を繰り返したが、最期は、奥州藤原氏が浄土文化を展開し、世界遺産の中尊寺金色堂で知られる岩手県平泉にて、短いながら華麗で波瀾に富んだ生涯を閉じることとなった。 | |
グリーン :「赤穂浪士」(第2回、1964年) 大河ドラマの定番ともいえる忠臣蔵を描いたもの。当時の映画スターが数多く出演したことで人気が爆発。 討ち入りを描いた第47話の視聴率53.0%は一話ごとに見た歴代最高視聴率(2011年現在)。 |
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赤穂 | 赤穂は兵庫県の南西端部に位置し、忠臣蔵の赤穂藩で知られる。 赤穂城は本丸表門などが再建され、大河ドラマ「元禄繚乱」(1999年)のロケに使われた。 討ち入りの12月14日には赤穂義士祭が盛大に行われる。 また特産品としては赤穂藩の頃から天然の赤穂塩で知られる。 同地にある赤穂大石神社は、赤穂義士47人と中途で自害した萱野重実を祀っている。 | |
赤坂 | 江戸城・松の廊下の刃傷事件で、浅野内匠頭は切腹し、浅野家は断絶した。 大石内蔵助ら四十七士は悩みながらも吉良邸討ち入りを決めた。 討ち入り前日、大石内蔵助は現在の東京赤坂に住む内匠頭夫人瑤泉院を訪れたが、漏洩を恐れて討ち入りを告げずに去った。 雪の中、瑤泉院が大石内蔵助を見送ったのが赤坂・南部坂で、”嘆く瑤泉院、苦しむ内蔵助”として歌舞伎の名場面として知られる。 | |
本所 |
討ち入りで知られる吉良邸があった本所は現在の東京都墨田区にあたる。
討ち入りのあった頃の本所は東京の郊外の趣であり、討ち入りには適した地であったともいわれる。
本所松坂町公園には、旧吉良邸内の「吉良の首洗い井戸」が現存している。
画像はスポルディングコレクション・歌川広重「忠臣蔵 夜討二 乱入」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_9385 |
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ダークブルー :「花の生涯」(第1回、1963年) 記念すべき第1回放送はテレビ放送開始10周年記念として、動乱の幕末を幕府側・大老井伊直弼を通して描いた。 当時、テレビに出演しないと思われた歌舞伎役者や映画スターを集めて人気になった。 また記念碑が作られるなど、ドラマのご当地も注目を浴びるようになった。 |
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彦根 | 滋賀県彦根市の彦根山には幕末の大老・井伊直弼の本拠地・彦根城がある。 二代藩主井伊直孝公を導いて雷雨から救った猫の伝説から生まれたキャラクター「ひこにゃん」はいわゆる「ゆるキャラ」の代表的存在で、屈指の人気を誇る。 彦根城には井伊直弼像近くに、原作の小説や大河ドラマで起こったブームを記念した「花の生涯記念碑」がある。 | |
東京 |
開国を決断した大老井伊直弼は攘夷派弾圧の「安政の大獄」を主導し、江戸城桜田門外にて暗殺された。
なお、幕末の江戸(現在の東京)は、世界有数の人口を誇り、識字率の高さなどから庶民の生活水準は豊かで、日本橋を始めとして、活気あふれる大都市であった。
日本橋から富士山と江戸城を臨む画像はスポルディングコレクション・歌川広重「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_5089 |
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乗り物 | ||
牛車 |
牛に牽引させる車で、平安時代の貴族の主要な交通手段のひとつ。
権威を誇示するために造りや装飾に凝ったものが多かった。
画像はスポルディングコレクション・葛飾北斎が百人一首を絵にした「百人一首姥がゑとき 菅家」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_6732 |
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騎馬 |
馬は速く移動する場合だけでなく、重い重量負担に耐えられるため、人と荷物の両方を運べる交通手段として重宝された。
また人は一人だけでなく、馬の両側に人を乗せる「二宝荒神」や二宝荒神にさらに馬の背に一人乗せる「三宝荒神」というのもみられた。
画像はスポルディングコレクション・葛飾北斎「冨嶽三十六景 隅田川関屋の里」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_5357 |
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駕籠 |
駕籠は人をのせたものを一本の棒に吊るして前後から人(駕籠かき)が担いだ。
2人以外にも、 3人(三枚肩)や4人(四枚肩)で担ぐものもあった。
高価な交通手段であり、夜間であったり、雨が降ったり、風が吹いたりすると高くなる可変的な料金体系が採用されていた。
画像はスポルディングコレクション・歌川広重「東海道五十三次之内 三島 朝霧」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_5024 |
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帆船 |
江戸時代以前の帆船は和船と呼ばれ、基本的に一枚帆・四角帆であった。
また和船の特徴として、大きな板を組み合わせたモノコック構造をあげることができる。
西洋の船は骨格と細い板材の複雑な構造のため、それに比べて和船はかなり安く建築できた。
画像はスポルディングコレクション・葛飾北斎「百人一首宇波かゑとき 藤原繁行朝臣」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_6729 |
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行燈・水車 | ||
行燈 |
1860年頃から徐々に普及する石油ランプにとって変わられるまで、行燈は江戸時代の一般的な照明。
風で火が消えないように光源を和紙で囲んでいる。
画像はスポルディングコレクション・一筆斎文調「三十六花撰 角かなや那ゝあ屋」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_4702 |
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水車 |
水車動力として水車が使われるようになったのは、江戸時代に入ってのこと。白米を食べる習慣が広がったため、米の精米に使用され、それにつれ水車も広がったといわれる。
画像はスポルディングコレクション・葛飾北斎の風景画の傑作シリーズ「富嶽三十六景 隠田の水車」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_6767 |
その他マス
牢屋 | 現在の刑務所は裁判の確定後に入る場所であるが、江戸時代の牢屋は未決囚を収容するところで、現在の拘置所のような位置づけであった。 | |
運上金・冥加金 | 江戸時代の営業税・営業免許税など、商工業者などに課された税金の総称。 幕府は直轄領に、藩は自らの領地に課税する。 そのため、地域によってその種類や課税方法が異なっていた。 | |
川越賃銭 |
当時、大井川には橋がなく、旅行者は川越人足にお代を払って渡った。
そのお代は、その日の水深と川幅の広さによって決定される可変式であり、一定の深さ以上になると川越え禁止となる「川留め」も少なくなかった。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」で有名。
画像はスポルディングコレクション・歌川広重「富士三十六景 駿遠大井川」から抜粋。
Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved. William S. and John T.Spaulding Collection, 1921 21_5316 |
イベントカードの紹介
初夢のお告げ | 大河ドラマのほとんどが1月に放映を開始している。 大河ドラマファンもご当地の関係者も、初夢にいい夢を見ることができれば、今年も充実した大河ドラマ漬けの一年になるだろう。 デザインは初夢に見ると縁起がよいとされる「一富士、二鷹、三なすび」(夢に富士山が出てくるのが一番良く、ついで鷹、三番目がなすびである、という意味)にちなむ。 | |
大河ドラマの想い出 | 2011年放送の「江」でついに大河ドラマは50作品目となった。 多くの作品が1年近くかけて放映される、わが国ドラマ史上でも珍しい形態であるため、大河ドラマファンやご当地の関係者に深い感動を呼び、これまで様々な想い出が作られたことであろう。 カードの内容はそんな想い出にちなむものとなっている。 |
その他紹介
旅籠 | 旅籠の漢字の由来は、馬を飼う籠にある。馬に乗って旅をする際、その馬の飼料を調達できる店を旅籠と呼んだ。 その後、人が宿泊する店も旅籠と呼ぶようになった。 江戸時代になって、街道や宿場が整備され、伊勢参りがブームになると、庶民の間にも旅行ブームが起こり、宿場にある旅籠は大いに賑わった。 | |
本陣 | 本陣は、参勤交代の大名や幕府の役人、勅旨などが宿泊した。 いわゆる素泊まりが基本である。例えば、参勤交代の大名行列は、コック役を同行させたうえ、調理の素材・調理道具・食器など食事関係の物は持参していた。 そのうえ、寝具一式、風呂桶までも持ち歩いた。 他の客を泊めることができず、大名や役人は頻繁に泊まるわけではなかったので、本陣の経営は苦しかった。 | |
草鞋 | 江戸時代、駕籠や馬を使った移動もあったが、庶民は基本的に草鞋を履いての「徒歩」で旅をした。 藁でできている草鞋は軽いものの耐久力に乏しく、一日数十キロも歩くので、数日で履き替えることを考慮して、旅には予備の草鞋が欠かせなかった。 | |
ボストン美術館・スポルディングコレクション | 人気の歌舞伎役者やおなじみの名所が生き生きと描かれた江戸の浮世絵。 蕎麦一杯ほどの値段で求めることができ、庶民が雑誌感覚で楽しめる情報源であった。 スポルディング・コレクションは、精糖事業などで大きな富を得たスポルディング兄弟が、収集した約 6500点の浮世絵を1912年にボストン美術館に寄贈したものであるが、作品の劣化を防ぐため一般への公開は禁じられた。 このため非常に優れた質の浮世絵が多数残されており、「浮世絵の正倉院」ともいわれる幻のコレクションである。 このたびデジタルデータ化されたことで、誰もがその美しさを楽しめるようになった。 |
なお「NHKの大河ドラマ50のご当地版モノポリー」 の文字は大阪版モノポリーと同様に、 大阪の企業が印刷業界のデファクトスタンダードとなっている、 「モリサワフォント」を全面に採用しています。